« STAR WARS: Clone Wars | トップページ | iPod nano CM パロディー »

2005/09/24

乙骨太郎乙 その1

 この記事は、05/08/11付「「君が代」のルーツ」(TB参照)の文中に登場する「乙骨太郎乙」氏について、姫野恭子さんがよせて下さったコメントをまとめたモノです。何回かに分割して掲載いたします(今回はその1)。
それにともなって、該当コメントは削除いたしております。ご了承ください。

コメント(05/08/24)
俳句誌「九州俳句」に以前書いた暦に関する論考の中で、乙骨太郎乙と君が代の挿話を引用したのですが、私は司馬遼太郎の随筆から引用しました。再度、名前の読みについて確認したく司馬の本を探しましたが、どの本だったか迂闊にも失念してしまいました。ご存知なら教えて戴ければ有難いのですが。たしか司馬は「おちこつたろうおつ」とルビを振ってました。陰陽五行という時代霊が終末間際になって尻尾を出したみたいな、念入りな陰の呪つきの名です。

注:この名前の読みに対する質問についてボクは「おつこつたろういつ」であったという回答をしています。

コメント(05/08/26)
拝啓、再度きになり、本をさがしまわりました。
やはり文庫は別ものでした。私のは「歴史の中の日本」中央公論から1976に初版がでた物です。巻末の初出一覧で例の文章をみると、昭和44年1/6毎日新聞でした。たぶん同じ原文でしょう。
で、問題のへんな名のよみですが。「おつこちたろうおつ」でした。どこまでも妙ですね。しかも、司馬がこの話を面白がってるのは、陰陽五行の呪が偶然、じねんに成立したことについてじゃない。わたしはそこが逆にふしぎでたまりません。

コメント(05/09/02)
それでもやはり気になり、あと三回司馬の「歴史の不思議さーある元旦儀式の歌」を読みました。ことに最後の九行。そして、自分のよみが浅かった事に気づく。司馬は私が疑ったように陰陽五行を理解してないどころか、ちゃんと解ってて、だからそれが実際に有効となってることのふしぎさを書いているんじゃないかと思い始めました。骨太郎という旧幕臣は乙という韻字でロックされ、りっぱに使命を果たした。・・てかね。「九州俳句」で最近目にした君が代論には、骨太郎は盲点になってました。

|

« STAR WARS: Clone Wars | トップページ | iPod nano CM パロディー »

言葉と人と時間の旅」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
いまさらですが、乙骨 は<おっこつ>と読みます。
 初代は、五味でしたが山梨県の<乙事 おつこと>村の出身で、武田家の家臣でした。織田に負けた後、徳川家康につかえて、そのときに<乙骨おっこつ>と名乗るようにと姓を賜りました。
 ちなみに初代<乙骨 太郎左衛門安利>の墓は恵林寺の武田家の家臣団の供養塔のところにあります。
 太郎乙は12代目です。
 

投稿: すもも | 2006/09/16 01:35

あっさむさんが、まだ復帰されていません。ブログマスターの頭越しではありますが、すももさんに一言ごあいさつもうしあげます。
乙骨一族に興味をもちまして、ぐいぐいとひきこまれていった過程は、このマリオットの盲点に去年の夏からの記録がありますし、冬からは自分のブログにかいてます。
なぜ、というか、すべては縁としかいいようがないのですが、ふしぎだなあとおもいます。
「すもも」さんのこともです。ずっと書き続けてきて、当の乙骨一族のかたからコメントいただいたのは、一度だけでした。ですから、ここですももという筆名の一族のかたをおみかけしたとき、はっとしました。と同時に、最近検索したばかりの万葉歌にあったすももが連想されました。
http://www.asukanet.gr.jp/sanzan/hana14.html
みれば、大伴家持のうたです。
そうなんです。大友家持に呼ばれている。かささぎの旗というのも、彼の歌が意識の底にある。乙骨菊枝さまがこのたび歌集をおだしになり、それのお祝いをまだ申し上げておりませんが、これまでにいただいた菊枝さまのお文章から、並の歌人ではないことがわかります。血のなかに歌があるたぐいの歌人。乙骨という姓は、家康から直々にたまわったということですが、どういうメタファーで乙の骨なのか、を、いつもおもいます。それは同時に家康のすごさをおもうことでもあります。
乙骨の家は国歌君が代を生んだ家であり、国の蝶おおむらさきを生んだ家であり。それはなんの暗喩でしょうか。
大伴家持は、山本健吉に著があり、私の詩の師・安西均にも少年の家持をうたった詩がある。
関係ないかもしれませんが、「すもも」から、思ったことを記し、すももさんと、日ごろお世話になっているアッサムさんにご挨拶させていただきました。長々と紙幅をいただき、失礼しました。

投稿: 姫野恭子 | 2006/09/23 10:18

はじめまして。八王子の城山手に在住・年金生活者のいのいです。先日、ここの千人同心の歴史本に・江戸時代「乙骨太郎左衛門」という住家が舟田の奥にあって、地元の人は乙骨という呼称がなまって「オッコシ」と呼んでいたようです!この住家が谷戸の奥にあったので、「オッコシ谷戸」と呼ぶようになったと記述されていました。この八王子の舟田の奥のオッコシ谷戸という処に住まわれていた乙骨家の方々は、何代目の人であったのでしょうか?教えてください。

投稿: いのいひでお | 2009/02/14 11:24

いのいさん、はじめまして。ブログの管理人をしております assam と申します。
コメントありがとうございました。

おたずねの件ですが、手元の本(下記に紹介)によりますと、乙骨氏は徳川家康に八王子の屋敷を賜ったのが最初のようです。初代から4代までの太郎左衛門がここに住み、その後、江戸に移ったようです。

下記の本に詳しいと思います。ご興味がありましたらどうぞ。
著者は乙骨家の子孫の方です。

“小伝 乙骨家の歴史・江戸から明治へ” 永井菊枝 著
        発行所:フィリア 2700円

投稿: assam(b-master) | 2009/02/15 21:43

はじめまして。こちら本当に乙骨安利というもにですが、このウログはまだやられているのでしょうか?

投稿: yasutoshi okkotsu | 2020/03/16 05:57

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 乙骨太郎乙 その1:

» 「君が代」のルーツ [マリオットの盲点]
 御用達(笑)の雑誌、ニューズウィーク・日本版に「君が代の生みの親はイギリス人」 [続きを読む]

受信: 2005/09/24 17:13

« STAR WARS: Clone Wars | トップページ | iPod nano CM パロディー »